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会津への旅(6)

今日の大阪は霞がかかり、雨にでもなりそうです。
今のところ降っていませんが、ここのところ、こんな天気が続きますね。

さあ、いよいよ「会津への旅」と題してお送りしてきた旅レポ、終盤にかかってきました。
たぶん(6)では終わらないと思いますので、(7)が最終回とお考えの上、お付き合いいただければ幸いです。

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家を出てから3日目の朝を迎え、いよいよ大阪へ帰らないといけない朝が来ました。
会津にいる間は本当に心穏やかに過ごすことができ、会津のみなさんの心の温かさに触れ、もうほとんど「ここに住みたい」状態になっていましたが、今はそうはいきません。

朝から温泉につかり、お気に入りのバイキングを食べ、身支度を済ませると、2日に渡って貯めこんだ喫茶券を使って、出発前にロビーでお茶をいただきました。

そこへ、福島の環境調査の人が来てアンケート調査の協力を頼まれました。
「どこから来たか」「また来たいか」などのアンケート調査を受け、答え終わったとたんに、こんなのいただきました。

「わあ。八重たんだあ〜」
ということで、またまた、本当にいいお土産ができ、いよいよ宿を後にすることとなりました。

2日間、本当によくしてくださったスタッフの皆さんとお別れし、宿のバスで会津若松駅まで送っていただきました。

でも、3日目の帰る日の朝とは言え、まだ15時ころまでは時間があります。
さて、今日はまだ見つくせていない場所を回るぞ・・・ということで、会津若松駅に立った私たちの耳に、何やら囃子の音が聞こえてきます。

「彼岸獅子が来ると会津に春が来る」そんな言葉がこの地方にはありますが、まさか、その彼岸獅子に、ここで会えるなんて、そんなラッキーすぎるような偶然ってないよね?と思いながら顔を見合わせたゆうと私ですが、囃子の聞こえる方へ猛ダッシュです。(笑)

ついてみると、本気で彼岸獅子がそこにいました。

この彼岸獅子は赤枝という磐梯山の近くのグループで、その日は偶然にも彼岸の入り、その日には駅の近くの一筋目の道を回るということで、各家に春を届けに来ていたところでした。



彼岸獅子にも戊辰戦争の時の逸話があります。
戊辰戦争のさなか、山川大倉という武将が、一個連隊を引き連れ鶴ケ城で戦うため入城しようとしたところ、すでに城は敵に囲まれ、無血で入城がかなわない状態となっていました。
そこで考えた秘策がこの彼岸獅子でした。
彼岸獅子を仕立て、敵が「なんだ、なんだ」とあっけにとられているうちに、それを先頭に入城してしまったというのです。
これは、悲劇の話の多い戊辰戦争の会津の逸話の中でも、唯一、愉快で明るい話として語り継がれています。

さて、彼岸獅子をみたいと思っていた私たちですが、時期もあるし、いつ見れるかもしらなかったので、まさかと見れるとは思ってもいなかったところに、このサプライズ。
二人とも喜びはひとしお。
彼岸獅子にまたまた、元気をたくさんもらって、さあ、いよいよ、会津藩校として知られる日新館へ行くこととしました。

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日新館は今は、磐梯山のほぼ近くに位置します。
藩校として、五代藩主・松平容頌の時代に家老田中玄宰の建議によって企画され1803年に完成しています。
そこで学ぶことは、会津藩祖・保科正之の遺訓を旨に文武両道にわたる幅広い内容でした。

日新館につくと、まず最初に目に入るのが、「什の掟」の立て看板です。

これは、日新館に入館前の6〜9歳の子供たちが什というグループとして、徹底的に教え込まれたもので、これができないものは日新館には入館できないとされていました。

今では子供たちが近所のガキ大将を中心にグループで遊ぶことはしなくなりましたが、よく説明を聞いてみると、それを定めたみたいなグループが什であり、うちの母に言わせると、「昔は修身という時間で習ったことよね」という内容がこの什の掟で示されています。

中でも「八重の桜」が始まり、「ならぬことはならぬものです」という言葉がよくテレビでも会津を紹介する時に紹介されるようになりましたが、この言葉は、什の掟のひとつで、どこまでいってもだめなことはだめなのだと説いたこの教えは、戊辰戦争であそこまでたくさんの犠牲を出したことにつながった教えかもしれないとも思いますが、それを含めた掟が会津の会津魂の根本となり、また、一度滅びて無くなった土地をここまで会津らしく復興させたものと、ここにきてまた思われました。

日新館の教えがどれほど大きく子供たちの心に深く浸透していたかということが分かる話が、藩校出で、家老・萱野権兵衛の次男、郡長政という人物の話でよくわかります。

父親萱野権兵衛は、家老として4番目の席にいましたが、戊辰戦争後、敵から3人の家老職の首を差し出せと言われた折、筆頭家老・西郷頼母は主君の命でシンカンを守りこの時行方知れず、次席の田中土佐・神保内蔵助はすでに自刃してこの世にいなかったため、4番目の席にいた萱野権兵衛が切腹を命ぜられます。

そんな悲劇の家に生まれた子供たちは、萱野の家が断絶したため、母方の郡の名前を名乗ることになり、斗南藩として暮らしているころ、次男・郡長政は成績優秀で藩を代表して他藩へ勉学に行くことになります。

ところがそこの藩では食べ物が貧しく、発育盛り16歳の長政は食べ物が足りず国の母に柿を送ってくれと手紙を書きますが、母はこの手紙を不憫に思いながら読みますが、心を鬼にして「藩を代表して他藩へ勉学に行っている者が食べ物のことで泣き言を言うとは」と叱責の手紙を息子に送ります。、
これを見た長政は反省の意味を込めてこの手紙を肌身離さず持ち歩いていましたが、ある時これを懐より落としたのを学友に見られ、それを貼りだして、会津藩のことまで辱める言葉を受けます。
自分のことだけならいざ知らず、藩のことまで侮辱されたときに長政は「ならぬことはならぬ」と言う教えを思いだし、結局自分が母へ手紙を書いたこと、それ自体が「ならぬこと」であったと反省し、藩への恥辱はすべて自分の責任と、自刃して果てたということです。

これほど子供たちに浸透した教えが、「什の掟」であったということが、この藩の基礎を支え、今も息づいているのだと、改めて感じる話でした。

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この看板を見ながら少し洋風の狛犬の間を抜けると、復元された日新館があります。

写真を撮ろうと、なんやかやいいながらカメラを構えていると、「関西からいらしたんですか?」そう、ここのスタッフの方に声をかけられました。
「はい」と答えると、「どちらからですか?」の言葉。
「大阪からです」と言うと、「遠いところをようこそ」と言われ、「お撮りしましょう」と、撮っていただいたのがこの写真です。

日新館の文字に少し襟を正すような気持ちで門をくぐると、中はものすごく広く・・・。






ひとつひとつの建物を見て回ることとしました。





勉強ができても芸事に秀でていても、「人の道」を知らなければそのものは人ではなく、獣や鳥と同じだとした日新館の教えは絶対的なもので、会津若松の街に流れる優しさや思いやり、そして、人に対する気遣いなどは、この藩校時代からの教えが今も町の人々の心の中に生きているからなのだと、ここに行き、その教えを改めて知ることで、うなづけることがたくさんありました。


藩校生はここで水練・騎乗のまま水に入る訓練などを受けたとされますが、しっかりと、この日は水は氷と化していました。

さて、この中を回りながら、いろいろなことに感心しつつ、私たちも弓を習ってみることに・・・。


ここに行ってみると、さっき写真を撮ってくださったお兄さんがここの人でした。





なれないものはなかなか難しく、引いた腕がまっすぐにならず、下に力が行くのがだめだなあ〜と写真を見て改めて反省したりしながら、思わぬ体験をし、心の勉強もして、日新館をあとにしました。

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さて、長くなりましたが、いよいよ最終回、会津への旅(7)へ続きます。

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ファニーが5歳になりました!

今日の大阪はくもり空。
雨になりそうな気配ですが、晴れてくるのでしょうか?
この頃の天気は読めないですね。

さて、会津への旅(6)です・・・(爆)といいたいところですが、実はファニーが昨日、5歳の誕生日を迎えました。
間の日のことなので、お祝いは今度のお休みに・・・ということになりましたが、みんなで「おめでとう。おめでとう」と言って、お祝いしました。

ファニーからのコメントです。


みなさん、あたち5歳になりまちた。
「クラインリーベ」の看板娘っていうのもやってるち、何かといそがちいのよね・・・わたち。
これからもよろちくね。

そうそう、看板娘とちて言わせてもらうと、今度の4月13.14日に大阪の京セラドームってとこで、ERL(エンジョイラビットライフ)ってうさぎのお祭りがあるんだけど、「クラインリーベ」がお店を出すのよ。

あたちはたぶん2日目に看板娘とちて登場するの・・・。
また、会いに来てね。

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ということで、これからも小生意気なお嬢ですが(爆)、どうぞよろしくお願いします。

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会津への旅(5)

今日の大阪はくもり空。
雨がぱらつくかも・・・といってましたが、晴れてきましたね。

「会津への旅」と題してお送りしてきました旅レポですが、ついに5回目を迎えてしまいました。
書きたいことが多すぎて、もう今や自分の記録と化しています。(汗)

おつきあいいただいているみなさん、ありがとうございます。
たぶん、6回で終わるかなあ〜、終わらせたいってところです。
ですから、今日の分は会津の空から2日目と3日目にわたってと考えていましたが、結局2日目の終了までで、写真数が多いので止めました。
7回まで行くかもです。
よろしくお付き合いのほどを。

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滝沢本陣で感動したあと、喜多方ラーメンで腹ごしらえしているうちに、空はくもり出し、雨がぽつぽつと降り出しました。
それでも心は熱く、まったく「ついてない」なんてことを思うこともなく、私たちは雨の中、またまた、周遊バスあかべえに乗り込み、鶴ヶ城を目指しました。

実は、拝観は4時半まで。
あかべえが鶴ヶ城につくのは、どう考えても4時10分。(汗)
それでも「絶対に今日のうちに行くんだ!」ということで、時間通りに到着した鶴ヶ城。

雨に煙る鶴ヶ城も小さいながら、白くて美しく、きっと、会津藩の人たちは当時、いつもそんなことを思いながら城を眺めたのだろうなあ・・・なんて思いました。
20年前に見た鶴ヶ城と違ったのは、天守閣の上の欄干が赤から黒に代わっていたことでした。

そんないろんな感想を抱きながらも、時間がないので、城へ急げ!状態です。(笑)


V字型になっている武者走りは珍しいんだということを知識として知りながら、それを横目に雨の中、走る走る。(笑)

とりあえず拝観時間ぎりぎりセーフで滑りこみましたが、昭和40年に復元されたため、内部はまったく近代的な建築になっているのと、他で資料は十分すぎるほど見ているので、それほど特筆すべき資料はありませんでした。

ただ、地下の塩蔵部分が当時の城の石垣内部がそのままで、そこを利用して当時の塩蔵を再現してありましたので、それが記憶に残りました。

ここでは、現在「八重の桜」の放送を記念して「大河ドラマ館」が下に併設されていましたが、まあ、これは私たちにとっては時間を割く必要はないだろうと、パスすることに・・・。

ところが、城を出てから、ゆうが会津出身の滝廉太郎の荒城の月の歌碑があるからこれは見るといい、傘ももっていないのに、雨の中ぼとぼとになりながら歌碑を見に行きました。
みんな雨で拝観時間もおわったので、観光客は帰る方向に行くのを私たちは傘ももたず逆行状態ですから、さぞかし、奇異な姿に映ったことでしょう。(汗)

荒城の月のモデルの城はここではなく、竹田にある岡城ですので、ここはあくまで滝廉太郎が生まれた町というのと、ここでこの詩を思いついたという流れもあり、歌碑が立っているそうです。

城は街の人たちの思いで復元されましたが、会津若松の町をめぐるとあちらこちらで、戊辰戦争後の鶴ヶ城の写真に出会います。
1か月にわたった戦のあとの城はボロボロでたくさんの砲弾の跡が残されていましたが、今も会津の地の人たちが愛する城はこの城なのだろうと、写真を見るたびに思いました。

「明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に残す月影」
山本八重が落城の際、城を後にするときに城の壁に残した詩とされます。

復元され、町の象徴として今もその場所に立つ鶴ケ城。
でも、それは、かつて城を枕に討ち死にしようとした人たちの城ではないことをここを訪れて改めて思いました。

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城を後にした私たちは、雨がそぼふる中、若松駅に向かうつもりでしたが、もうこの雨で周遊バスも最終だし、宿に戻る手段がないだろう・・・ということで、泣く泣くあきらめ、ハイカラさんに乗って宿に帰ることにしました。

宿に帰って食事までは一息ありましたので、ホワイトデーにいただいたチョコをいただくことにしました。

旅のお供にと持ってきたちょこ。
N山さんからいただいたものですが、なんとかわいい♪
まずいただいたのは、当然、肉玉チョコでした。
N山さんありがとう。

ということで、このあと食事に向かった私たち。
食事は昨日と同じバイキングでしたが、2日目だということで、特別に炊き合わせと茶碗蒸しがつき、「いや〜この食事なら、毎日同じでも十分ですよお」なんて給仕のおにいさんにいいながら、おいしくいただいて、食事会場を出たところで思わぬサプライズが待っていました。

なんと、富山から「越中 風の盆」のグループの人たちが復興支援にやってきていて、昨年、ここにとまって被災地に向かったけれど、ここでは踊りを披露できなかったからということで、「風の盆」を生で見せてくださることに・・・。




私は30年前に寝台列車で行ったことがあり、これもまた、いつかもう一度行きたいと思っていた地です。そこのイベントが思わぬところで見れ、本当に感動しました。

この格好は結婚するまでの男女しか許されておらず、町によって着物の柄が違うのが魅力で、胡弓に合わせて歌いが入り披露される「風の盆」にしばし時を忘れました。


本来、9月1日の防災の日に合わせ、災害を払うために夜通しで踊る踊りで、町のあちこちで輪踊りも拾うとれ、観光客も加わることができるのですが、今回はその輪踊りも披露とれ、ゆうが、その輪の中に入りました。


おもわないプレゼントに心温まりながら、またまた温泉につかり、この日は就寝です。

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いよいよ、終盤。
会津への旅(6)に続きます。

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会津への旅(4)

今日の大阪はいいお天気です。
でも、またまた寒いですね。
考えれば、花の季節はいつもこんなものかもしれないですね。

「会津への旅」と題してスタートした、旅行レポ。
力が入ってしまって、第4回目となってしまいました。(笑)
歴史好きな人で、ご興味のある方だけおつきあいください。

旅行から帰ってきた日には3姫が登場します。
それまで3姫もお休みということですが、ご了承ください。

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会津若松について2日目の昼過ぎ、飯盛山まで到着した私たちは、資料館を見たのち、飯盛山に登ることになりました。

飯盛山は白虎隊自刃の場として知られる山です。
現在は山事態に階段がついていて、その横にはお金を出せば乗れるエスカレーターがついています。
山なので、階段もかなり急ですから、お墓参りのお年寄りにはあのエスカレーターはなくてはならないもののようです。

私たちはまだ足腰もしっかり!なので、がんばって階段で行くことにしました。

飯盛山に上がると、真正面奥にこの山で自刃した白虎隊士の墓が並んでいます。


白虎隊の自刃の話は、戊辰戦争時の悲劇として、よくテレビでドラマ化されたり取り上げられることが多いのでご存じの方は多いですが、逆に自刃した白虎隊士だけにスポットがあてられることが多いです。
ですから、白虎隊のすべての隊士が自刃したと思われがちですが、白虎隊というのは、士中が2班、寄合が2班、足軽が2班からなる16〜17歳の隊士で構成される総勢343名の隊をさします。

自刃した白虎隊士は、戸ノ口原戦に参加した士中二番隊42名のうちの20名です。
戸ノ口原戦で劣勢だった白虎隊士は、体制を立て直すべく移動する途上、食糧調達のために隊を離れた隊長とはぐれてしまい、隊士だけで城の見える飯盛山を目指します。
ところが、街に放たれた火を見て、城が燃えていると勘違いした彼らは、敵の手に落ち、辱めを受けるなら、ここで自刃をという形で、飯盛山を自刃の場に選びます。

これらの話は、20名のうち、深い傷を負いながらも生き残った飯沼貞吉によって晩年伝えられたとされます。
士中二番隊の中でもこの20名だけが隊長とはぐれて飯盛山を目指したものたちで、そこに行くまでにはぐれて城を目指したもの(銅像の酒井など)もいれば、戦で負傷を負い、途中でぬけたものもいます。

さて、またまた説明が長くなりましたが、この白虎隊士の墓は、今も飯盛山の山頂から街を見下ろす形で建てられています。

ここから少しくだった場所に白虎隊士自刃の場とされる場所があり、そこには今もなお、白虎隊のひとりが城を臨む姿が石像として作られています。


白虎隊士像が見る先に城があると言われますが・・・。

裸眼ではこんな感じに見えます。

カメラを寄せてやっと・・・。

こんな感じで、左端の棒の立ったところの下に城が確認できます。

日新館でしっかりとしつけられた男子とは言え、まだ元服間もない子供たちばかり。
この距離で城下の火を目にすれば、非常時状態の精神状態で、城が燃えていると勘違いしても無理はなく、その後の身の処し方も、大人の隊長がついていればまたちがったものになったのでしょうが、不運としかいいようがないと、この場に行ってそう感じました。

この山にはそのほかにも援軍としてやってきた郡上藩など、この戦で亡くなった方のお墓も建てられています。

そして、こうした武士たちの武士道精神をたたえる他国からの贈り物もありました。

これはイタリアから贈られたもので、ポンペイの遺跡から発掘された神殿の柱の上にブロンズ像を乗せ、この柱の後ろには「武士道精神に捧ぐ」の文字が刻まれていたとのことでせすが、第二次世界大戦の折、上陸したアメリカ兵の手により、この文字は削りのとられたと言います。

この他にも他国から贈られたものや、こんな素晴らしい精神を持つ国で骨を埋めたいと願ったドイツ人のお墓などもあり、歴史や時代の流れのいろんなものをこの場所にたつだけで感じました。

さて、この後、飯盛山を反対側におりようとしたところに、白虎隊士がここまでのがれてくる途中に利用したとされる戸ノ口堰洞穴がありました。


それを見て、今度は国の重要文化財とされるさざえ堂を見学しました。


さざえ堂は、1796年に郁堂和尚の考案で建てられたものです。
建築物としておもしろい形をしています。

この右下の図がよくかりますが、こうした形になっているため、上がっていくものと降りてくるものが同じ道を通ることがないという、変わった建築方式がとられています。


中はこんな感じ。
なんだかあの山にこうしたお堂がポツンと立っているのも不思議な感じがしました。

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さて、ここから私たちは飯盛山を下り、途中にあった「白虎隊伝承資学館」を覗いて、今度は滝沢本陣を目指しました。

その途中の道はこんな名前がついてました。(笑)




滝沢本陣につくと、すごい建物です。

しかし、またまた、誰もいない・・・。
左横に民家があったので、声をかけるとここが拝観料を払うところだったらしく、テレビを見ていたおばあちゃんが、出てきてくださいました。
300円の拝観料がここもなぜか10%割引きですということで270円に・・・。

あまりにのんびり、観光地なのに力を入れていない状況に、私もゆうも笑いながら滝沢本陣に入ると、お客がきたらつけてくれるのであろう説明の放送が始まりました。

滝沢本陣は戸ノ口原に出陣する白虎隊を容保公が送り出した場所であり、また、新選組の進駐の地でもあります。
入れてくれた説明放送がまたまた資料の宝庫状態で、驚きながら聞きつつ中に入ると、ここから戊辰戦争がはじまっただけあって、中の柱や戸に刻まれた砲弾のあとのすごいことに驚き、改めて、ここってすごいんや!と思いました。

しかし、こんなものすごい歴史の資料を見せてもらって、安いやら、おばあちゃんが自然体でやっている姿やら、他の観光客はここを飛ばしていくのにも、ふたり驚いたり、笑ったり・・・。

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そんなこんなで、2時まわっているというのに、腹ごしらえさえ忘れていたのを思い出し、喜多方ラーメンをたべることに・・・。
これも、650円が、なぜかこの日300円と信じられない価格。

これを食して、いよいよ、鶴ヶ城を目指すこととしました。
続きは、会津への旅(5)でお送りします。

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会津への旅(3)

今日の大阪はくもり空です。
午後から崩れそうな予想だということですが、さてさて、どうなんでしょうか。
花見にはちょうど良い開き具合だそうですが・・・。

さて、3日目になりました会津への旅レポですが、3回予想で始めたものの、甘かった。
載せたい写真もたくさんあり、とてもとても3回で終わりそうにありません。
6回くらいまで平気で行ってしまうかも・・・です。

お時間ある時に、よろしくお付き合いください。

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あれだけ夢にまで見た、会津若松での夜が明けました。

いよいよ会津若松の観光へ出かけるため早起き。
まずは、夜とは入れ替わっているというお風呂を覗きに行くことからその日はスタートでした。

その日の朝風呂もやはり、露天風呂がメイン。
こちらは「宙の湯」となっていて、丸く展望できるように、棚風呂になったお風呂からが全方向がみえるように、丸くなっていて、こちらもなかなかに楽しむことができました。

お風呂を楽しんだら、いよいよ食事です。
朝もバイキングですので、食事中席をあける時は、この土地のキャラ「あかべえ」がテーブルでお留守番してくれます。


朝の食事写真はちゃんと撮りましたよ。

すべて地元の食材ばかり。
牛乳は「べこの乳」と書いてあり、これもさっぱりおいしいのなんの!

すべてに満足して、さあ、出発です。
御宿からは「武家屋敷」まで送ってくれますので、まずは武家屋敷からスタートすることとしました。



会津の歴史を少しでもひも解いた方はご存じだとは思いますが、会津藩は旧幕府軍。
幕末、最後の将軍徳川慶喜を守りぬき、最後にはその慶喜から切り捨てられます。
そのため滅亡の道を歩むこととなった悲劇の藩ではありますが、最後まで「義」の人たちが存在し、今もなお、この土地には、会津藩を愛してやまない子孫たちが土地を守り、伝統を守り、歴史を守って生活を営んでいます。

ですが、会津藩は戊辰戦争で壊滅的な負け戦となり、たくさんの人が亡くなり、残った藩士たちは斗南藩として存続を許されますが、下北半島の痩せた土地で、3万石(会津藩は33万石、与えられた3万石の実習は7千石だと言います)を与えられ、過酷な生活を強いられて、また、たくさんの尊い命を餓死と寒さで失います。

戊辰戦争後、長州を中心とする新政府にそうした扱いを受けた会津の地ですので、戦後、そうした苦労ののち生き残った人たちが、この土地に再び戻ることが許された時に、もう一度、会津藩のころの建物を長い間をかけて再現しています。

さて、説明が長くなりましたが、この武家屋敷は会津藩の筆頭家老・西郷頼母の屋敷図面が出てきたことで、その図面をもとに再現したものを中心に、武家文化に関わる建物が再現されたものです。


西郷頼母は、時の会津藩主・松平容保が京都守護職の拝命を受けた時、動乱の京都へたくさんの藩士を連れて行くこと、そして、今時代が幕府にとって不利な状況の中、幕府の盾となる役目をすることは藩の存続を危ぶむものとし、容保に反対の意を唱えたために、家老職を解かれます。

戊辰戦争が始まるとともに家老職に戻されますが、一家は女子供も含め全員自刃。
西郷家で生き残ったのは頼母と年若い息子だけでしたが、容保から孝明天皇から下されたシンカン(これは、会津藩は朝敵ではないという証)を託され、そのシンカンを守るために会津の地から落ちたのでした。

余生は神社の宮司として過ごしていたところ、西南の役が起こり、その西南の役に加担したとみなされて、宮司の職からおわれます。
年老いて会津の地に戻り、最後は長屋で、誰にもみとられぬまま生涯を閉じたというこです。

この武家屋敷には、頼母一家の自刃の部屋の様子が再現され、それぞれが詠んだ辞世の句が紹介されていますが、とくに、妻・千恵子の詠んだ「なよ竹の 風にまかする身ながらも たわまぬ節の 在りとこそきけ」という句は、会津の女性の心の奥に秘めた強さがみえ、会津の女性を語る時に紹介されることが多くあります。

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さて、私たちは、ここを1時間以上をかけて見学して、その後、周遊バスあかべえに乗ることにしました。
1日乗り放題で500円という安さに驚きましたが、この会津若松観光では、どこもここも拝観料が安いことに驚きました。
ほとんど300円で、バスのチケットを持っていたら10%引きとか、たくさんのものを作って生計を立てている土地だからか、観光に力を入れていないわけではないけれど、とにかくがつがつしていないことに驚きました。

そんなことを思いながら、あかべえで次に目指したのは御薬園です。

会津松平氏の庭園で、国指定の名勝と言われるだけあって、景観が美しかった。


ここの中にある「重陽閣」は、秩父宮妃殿下ゆかりのお部屋があり、ここではお茶を楽しめますので、早速いただきましたよ。

これがまた、安価で目まで楽しませてくれて、感動でした。

秩父宮妃殿下は会津の出で、戦後60年後妃殿下が宮に嫁がれた時には、会津は朝敵だとされた汚名を雪ぐことができたと、土地の方は心から喜んだということで、その時に新島八重が詠んだ「いくとせか みねにかかれる むら雲の はれて嬉しき 光りをぞ見る」という歌が、ここで紹介されていました。

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さて、ここで一息入れた私たちは、実はレンタル自転車を借りようと思っていたのですが、なんと、自転車を貸してくれるのは雪が溶けてからということで、結局借りれず、またまた、周遊バスの世話になることにしました。

次に目指したのは、白虎隊士中二番隊が自刃した飯盛山です。
士中二番隊については、あとで触れることとします。

ここの上り口に「白虎隊記念館」というものがあります。
まずはここに入ることにしました。

この記念館前に立つ銅像は、戸ノ口の生存白虎隊士のひとり、酒井峰治が鶴ケ城を目指してひとり退却中に愛犬クマが飯盛山の裏手でまで迎えに来たという本人の手記からその事実を作られたものです。

ここには、攻防両軍の資料が12000点あります。
郷土出身の弁護士が戊辰戦争の会津藩の悲劇を後世に正しく残したいとの思いから私財で作った資料館で、その思いに、各地に分散していたゆかりの人が心を寄せた形で、個人で持っていた資料を送るなどして成り立っているので、本当にこの人たちが生きた証がまさにここにあるという感じの資料館です。

前回行った時もそうでしたが、全部を本当に見ることができたのか、何度も何度も繰り返し周り、去りがたく、1時間以上の時間をかけて見て、いよいよ飯盛山に上がることとしました。

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この続きは、また、会津への旅(4)に続きます。
よろしくお願いします。

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会津への旅(2)

今日の大阪もいいお天気です。
そろそろ桜もほころび始め、明日あたりは花見に良さそうですが、寒いですね。

さて、今日も昨日に引き続き、会津への旅(2)です。
よろしくお付き合いください。

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さて、郡山であぶくま洞で遊んだ後、会津若松へ到着したゆうと私ですが、この日から東山温泉に宿をとっていました。
もともと会津若松自体に来たかったので、それほど温泉などにこだわっていなかったのですが、せっかく2日も泊るのだから、宿に帰ったらすることもないでしょう・・・ということで、近くにあった東山温泉に宿をとることにしたのでした。

東山温泉は会津若松の街の端っこに位置します。
そこで、会津若松の街中を走る周遊バスに乗ることにしました。

東山温泉方面は、ハイカラさんというバス。


逆回りがあかべえというバスが走っています。


この日はハイカラさんに乗って、町を周遊して東山温泉に行くので、街中をほぼ一周する形になりました。
ゆうは初めて見る会津のまちなみに喜んだり、感嘆したり、忙しいこと。

約40分街中を回って、東山温泉入口につきました。
いや〜日が暮れると寒いのなんのって、大阪からやってきた身にはこたえます。
宿に電話したら、大きなバスで、私たち2人だけを迎えにきてくました。

そして、ついた御宿は、「御宿 東鳳」です。


チェックインをすますと案内してくれたホテルマンのお兄さん、なんとも自然な話しぶりのお国言葉、それでいて、なんともいえぬ優しい応対で、心地よいもてなしぶりです。
エレベーター内で話しただけなのに、すっかり打ち解け、なんとも心なごみました。

そして、通された部屋が「2人ですよ。まちがいじゃないんですかあ?」みたいな、20畳くらいある部屋でした。
ここが私たちの2日間のお城です。


すっかり面喰いましたが、ここでのびのびとして、その日はあとは、食事と、お風呂だけです。

さて、食事会場はロビー横のレストランでしたが、バイキングとなっていました。
このバイキングがすごいのなんの。

よく考えたら会津はお米も取れるし、お酒も作っている。
野菜も取れれば酪農までやっているのですから、当然といえば当然なのですが、並ぶものすべて会津産。
それ以外のアイスクリームなどはハーゲンダッツというこだわりよう。

あんなすごいバイキングは見たことがないというくらい、郷土料理から喜多方ラーメンまで並び、これだったら、宿以外の食事でおいしいものを探す必要なんてないじゃんという状態でした。

が・・・しかし。
あまりのおいしさに食事の写真は朝しか撮ってないんですよね。(汗)

そんなこんなで、満腹のおなかを抱えて、今度は温泉へ。
夜と朝が男女入れ替わるので、夜は「棚雲の湯」に入いることになりました。

「湯」ののれんをくぐると、なんと、大きな月を摸した明り。

その下には見事な月影です。

そして、横の通路は月の満ち欠けが・・・。

このセンスの良さは最高だなあ・・と思いながら入ってみると、本当に中は広いお風呂でした。

ここは露天風呂が最高で、3段の棚湯となっていて、そのせり出した3段目は湯船の中で寝転べるようになっています。
せっかくだから・・とそこまで行って寝転んでみると、なんと満天の星空!
2人で大感動しながら、ゆっくりとつかりました。

ここの御宿。
電気製品など科すべて日本の名の通ったメーカー品のものばかりを使っていて、会津しかり、日本という国自体を大切に思っているんだなあ・・と、そんな風に思う御宿でした。

何もかもに満足満足の一日が終わり、この日は朝までぐっすりでした。

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宿だけで満喫状態、しらんまにたくさん書いていましたので、また、明日に続きます。(笑)
これは、3回では終わりそうもないですね。(汗)

お時間ある方だけどうぞ・・・。

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